・1877年のR. レーマン校訂『和獨對譯字林』は,1872年に著されたJ. C. ヘボンの和英・英和辞書『和英語林集成』再版の和英辞書の英語部分をドイツ語にあらため,調整を加えたものである.
・『和獨對譯字林』の著述は,斎田訥於,那波大吉,国司平六による.足立の日比谷健次郎と三郷の加藤翠溪によって出版された.
・『和英語林集成』再版の収録語数は22,949 語であるが, 『和獨對譯字林』は24,368語に増補される(坂本(1985)).試みにAMA で始まる見出し語数は,再版の52 語に対して, 『和獨對譯字林』では56語となり,4 語削除,8 語増補,48語共通となっている.語義・用例にも手が加わり,例えば,再版のTOMONI の用例に「わたくしとともに江戸へ行く」とあるが,『和獨對譯字林』では「東京」とある(以上,ローマ字表記を漢字と仮名で示した).
・斎田訥於 飾磨県士族.1873年の白石誠九郎による時習社開学明細書に載る.1871年4月から11月まで大学南校でワグネルに従学.ワグネルは陶磁器の釉薬の研究者でもあった.1872年1月から6月まで少助教相原升二郎に学ぶ.
・那波大吉 飾磨県士族. 1873年の千種顕信による私学開学願書 に載る.1871年7月から司馬文部大教授に,11月からドイツ人デットメルに学ぶ.
・国司平六 萩藩大組(熊谷組)に属し,25石取の身分であったようである.
参考文献
・上村直己(1985)「明治初年の東京のドイツ語塾について」「熊本大学教養部紀要外国語・外国文学編」20
・上村直己(1985)「明治初年京都におけるドイツ語教育」『西田越郎先生退官記念 ドイツ文学・語学論集』西田越郎先生退官記念論集刊行会
・坂本浩一(1985)「「和独対訳辞林」について」「語文研究」60
・沖森卓也編(2017)『図説 近代日本の辞書』おうふう
論文
・木村一・大野寿子(2017)「明治初期の独和辞書と和独辞書―序文の翻訳と解説を中心に―」「文学論藻」91
・木村一(2022)「『和獨對譯字林』の編纂者」基盤研究(B)「江戸後期の文化・芸能におけるパトロネージュ構造の解明:吉原を中心に」研究集会資料
コメント